ヨガ、瞑想をやっているのにイライラ、怒りんぼが解決されない問題
ヨガ歴約10年、瞑想歴約2年ほど。
ほぼ毎日「今、ここにあること」を トレーニングしている。
なのに、解決されないわたしの爆発的イライラと怒りんぼ。
でも最近思うことがある。
イライラ、怒りんぼでもいいんじゃないか。
ずーっとイライラと怒りの理由と解決策を探ってきた。
自己肯定感を上げたら解決できるかも、
自己否定をやめたい、
自分を好きになるには・・
あらゆる本を読み、一晩中ネット検索をしたこともある。
けれど、ある時から自己肯定感とか自己否定しないとか、
もう聞き飽きたー!状態になった。
とは言え、わかってきたことがある。
それは、イライラが爆発する時というのは
決まって私の中にいる”ないちゃん”が刺激されるときなのだ。
いつから”ないちゃん”と名付けられたのかはわからない。
由来は、自分はでき“ない”、かわいく“ない”と思い込んでいる“ない”ちゃん。
“ない”ちゃんは、とてもささいなことでも怒って爆発する。
例えば・・と思い出そうとしても思い出せない。
でも、こんなことがよく起こる。
つん父がいらんことを言う(つん父はいらんこと言うてるつもりない)
↓
瞬間的にイライラして反論。うぎゃーーーー!
↓
つん父「否定してないよ~」
↓
イライラが続き、つん父攻撃しながら泣く。
↓
つん父「もう疲れた~」と落ち込む。
↓
しばらく後、落ち着き、今度はつん父に嫌われるのでは、と不安の波が来て謝る。
↓
つん父「イライラしてもいいのよ~」
↓
イライラぶつけて謝る、このサイクルってモラハラ夫と一緒やんか!と自己嫌悪。
と、面倒くさいことが起こっている。
さて、最近瞑想でひらめいた。
実は“ないちゃん”はわたしを一番大切にしてくれている小さいわたしだったのだ。
多分、“ないちゃん”が生まれたのは小学生低学年くらい。付き合いは長い。
だから今度、ないちゃんが発動したら
「わかったよ、ありがとう」と言おうと思っている。
瞬間的にできるかわからないけれど、これも実験。
つん父はこの仕組みをわかっている。
時々いらんこと言うけど、わたしのイライラに乗っからず、イライラさせといてくれる貴重な存在だ。
長々と何が言いたいのか。
実は自分の嫌いな一面というのは、自分を大切にしてくれている小さい自分なのかもしれない、ということ。