しつけのために子どもを叩く必要があるのか の巻
ある友だちとの話。
わたしと同じような年齢で、いろんな考え方が正反対。
いつも、たいてい議論になるんだけど、なんだかんだ仲良し。
そんな彼女と子どものしつけに叩くことは必要かどうかの話になった。
彼女は
「子どもを叱る時に叩くのは理解できるし、そこにちゃんと愛があれば悪いことじゃない。必要と思う」と言った。彼女自身、小さい頃に叩かれたことは何度もあった。
でも、非行に走るわけでもなく、ちゃんと育ったし、叩かれたことをなんとも思っていない、と。
わたしは正反対。
叩く必要はないし、叩いてはいけないと思う。
と言うと、彼女は「いやいや・・」と言う。
わたしも小さい頃、親に頬を叩かれたことは何度もある。
今思い出すと、親は感情的になっていた。イライラして叩いてしまったのだと思う。
叩かれた私は、
言うことも聞かなければ、泣き止むわけでもなく、悪循環の始まりだった。
叩くことに何の意味があったんだろう。
子どもの頃、親をイライラさせてしまったわたしが悪いんだ、と思っていた。
そして、「人をイライラさせたらダメ」「悪いことをしたら叩かれて当然」という
考え方が身についた。
今のわたしは、この考え方が嫌い。
「この子には叩くことが必要だ」と冷静に考えて叩く人なんているんだろうか。
子どもに手が出るというのは、
イライラをどこかにぶつけるための感情的な行動なんじゃないかと思う。
結局、思い通りにならない子どもに言うことを聞かせるための方法、コントロールだ。
イライラしても誰にでも手を出すわけではない。
自分がコントロールできる、とひそかに思っている人にしか手は出せない。
正直、私はこの「人をコントロールする」という考え方や、
人を叩いてしまう可能性を持っている。
なぜ、こんな考え方や可能性を持ってしまったのか。
それは、小さい頃に叩かれた経験は大きいと思っている。
最近、つんこちゃんに自分のイライラをぶつけたり、
コントロールしようとする自分になってしまわないか・・と心配になる時がある。
そんな自分の傾向を、つん父には正直に話すようにしている。
つん父は「あ、そう」とだけ言って聞いてくれる。否定も肯定もしない。
冒頭の彼女との話は、いつも平行線。
でも、それでいい。
考え方の違う人と話をすることで、自分の考えが整理される。
やっぱり、子どもに叩くことは必要ない。
そして、自分の傾向に意識的になっておかないと、と強く思う。